頭を下げる人/「絶望」がゴールの仮放免というルール/止まらない「ホームレス化する仮放免者」

2022年10月3日(月)~9日(日)のTwitterの記録です。

■10月5日(水)「お散歩会」
月曜日はシェルターからアパートに移った皆さんと「お散歩会」。20代から90代まで、南アジアとアフリカ、日本の参加者です。仮放免状態の方が作ってくださった「ビリヤニ」を持っていきました。写真はつくりかけのビリヤニです。美味しかったです。またイベントしたいですね。
https://tsukuroi.tokyo

出所:大澤撮影
出所:大澤撮影
出所:大澤撮影
出所:大澤撮影

■10月5日(水)「シェルターの清掃」
火曜日はシェルターの清掃を1日がかりで行いました。ヘトヘトです。 何から何まで用意してくださる大家さん、急なお願いにも関わらずボランティアを引き受けてくださったアパートで生活されている方、仮放免の方、学生の方、支援者の方、みなさま。感謝しかありません。ありがとうございました。

■10月5日(水)「頭を下げる人」
今日は難民の方から家賃が払えないという相談がありました。家族を殺され逃げてきたのだから「心のケア」が必要な状況なのにも関わらず、ケアどころか生きていくのに不可欠な住居すら危うい。日本の「難民」の現実です。
その後は仮放免の方の通院に同行しました。精神科です。待合室に他の仮放免の方と支援者の方もいらしていました。 仮放免での生活でストレスがかかり、無意識のうちに舌を噛み血を流し、毛を引き抜く。入管に仮放免の更新に行く前はそれが強くなる。「私は働ける人」とお話されていました。 
その後、サポーターの皆さんと一緒に仮放免のご家族を訪ねました。前に家賃を支援したのですが、ご家族全員が私に「ありがとうございます」と頭を下げていました。複雑な気持ちです。ちゃんと難民として認められれば、就労許可が出れば、本来であれば私にお礼を言う必要なんてないはずです。人に常に頭を下げてお願いすることでしか生活できないということは、その人の「人としての尊厳」を壊していくことに繋がっていくと感じています。自分の人生は自分自身の手で決められるべきです。難民・仮放免者にも自己決定を

■10月6日(木)「ニッパーで歯を抜く」
月曜日は仮放免の方の通院同行でした。歯科でした。ご本人は痛みに堪えかねてニッパーで歯を取ろうとしたが取れなかったとのこと。しっかり治療できることになりました。医療費を負担して下さった病院には感謝しかありません。ありがとうございます。
この方は日本に16年いる方。明らかに難民の方です。16年間、働けず、病院に行けず、家賃が払えないのでいつホームレスになるかという生活。早く難民認定するべき。早く就労許可を出すべき。これ以上、仮放免状態に留め置き続ける意味はありません人の人生がかかっています

■10月7日(金)「『絶望』がゴールの仮放免というルール」
昨晩はホームレス状態にあるご高齢の仮放免の方のところに支援者の方と一緒に訪ねました。とりあえず一時施設に滞在できています。この費用は支援団体が出しています。しかし、今後また住まいを失うので、どうにかしなければなりません。どうにかなるんでしょうか。わかりません。食べ物も交通費もありません。足りません。
来日30年を超える難民の方。日本語ペラペラ。とても頭のいい方です。何度も何度も「ありがとうございます」とお話されていました。早く在留資格を出してほしい。「仮放免」というルール。働けない病院に行けない家賃払えない。これを守ると最終的には命と健康を損ない人生が破綻します。このルールの先には絶望しかないわけです。そんなルールはルールとして成り立たない。今すぐに改正されるべきです。

■10月8日(土)「止まらない『ホームレス化する仮放免者』」
支援者の方から電話がありました。
仮放免の方が他人のケータイを借りて電話。ホームレスになっている。かつ、病気があるという理由で仮放免されているので治療が必要。住むところもないし、病院にも行けません。どうなるんでしょうか。「ホームレス化する仮放免者」が続出しています。

■10月8日(土)「マジョリティのすべきこと」
11月2日、衆議院会館で仮放免者の置かれている「生きていけない」現状についてお話します。
お伝えしたいことは山ほどありますが、私が一番伝えたいことは「仮放免者に就労許可を」ということです。マジョリティこそすべきことは仮放免の人と一緒に声を出すことです。https://migrants.jp/news/event/20221007.html

出所:移住者と連帯する全国ネットワークHPより転載

■10月8日(土)「近畿弁護士会連合会」
今日はこちらのイベントにオンラインで参加しました。参加中に支援者の方から「ホームレス状態で医療にかかる必要のある仮放免者がいる」という連絡を受けました。現場は逼迫しています。多くの方がそれぞれの立場で支援に取り組んでおられます。なかなかできないことです。私にできることは限りがあって、たいそうなことはできないかもしれませんが、できることをひとつひとつやっていこうと改めて思いました。ありがとうございました。http://www.kinbenren.jp/topic/2022/2022_1008.html

出所:近畿弁護士会連合会HPより転載

■10月9日(日)「下駄と特権」
こうしたことに自覚的でありたいです。
最近、色んな場所でお話することが増え「男性」「肩書き」という下駄を履かせてもらっていることがあるなと感じていました。幸いにも私の周りには、私が下駄を履いていることを自覚させてくれる方がいます。いなかったら大変です。
下駄を脱いだり、下駄を履いていることを自覚した上で下駄を履いているからできることをするのが良いのかなと感じています。言い換えれば、マジョリティの特権に自覚的になり、その特権をマイノリティの権利行使のために使うということです。「言うは易く行うは難し」ですが…。修行ですね。

「私が話すと、みんな聞いてくれるだろう?」祖父が教えてくれた“下駄を履かせる”本当の意味 | 文春オンライン
「下駄を履かせる」という表現がある。社会では本人の意思に関係なく、その人が持つ“ラベル”によって、まわりからの評価が高くなることもあるのだ。たとえば“男性”というラベルを持つが故に、“女性”というラベ…
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