研究をする意味(メモ)② :村上春樹『職業としての小説家』を読んで

そもそも「職業としての小説家」として生きていくということとはどういったことなのかに関心があり読み始めました。その根底には、小説を書くということがなぜ必要なのか、私事でいえば、研究をするということがなぜ必要なのかという問題意識があります。小説を書く人や研究をする人はこの問いを避けて通ることができないのではないかと感じています。この問いに対する答えは様々あると思います。この本では村上春樹なりの視点でそのことが書かれています。
この問いのほかにも、村上春樹は「オリジナリティーとは何か」や「誰のために小説を書くのか」、「長編小説を書くためには」など、小説家だけに限らず、研究者など表現者の参考になることを示しています。
※参考としてマックス・ウェーバー『仕事としての学問』もご紹介しておきます。私には意味をうまく汲み取ることができませんでしたが、気づきを得られるかもしれません。

小説家という種族は…実際に自分の足を使って頂上まで登ってみなければ、富士山がどんなものか理解できないタイプです。というか、それどころか、何度登ってみてもまだよくわからない、あるいは登れば登るほどますますわからなくなっていく…。

村上春樹(2015)p.25

僕は、戦争や闘牛やハンティングみたいな経験に意味がないと言っているのではありません。もちろん意味はあります。何ごとにもよらず、経験をするというのは作家にとってすごく大事なことです。しかしそういうダイナミックな経験を持たない人でも小説は書けるんだということを僕は個人的に言いたいだけです。どんな小さな経験からだって人は、やりようによってはびっくりするほどの力を引き出すことができます。

村上春樹(2015)p.127
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