2022年12月19日(月)~25日(日)のTwitterの記録です。
■12月19日(月)「FRIDAYの記事」
「ホームレス化する難民・仮放免者」急増について取材を受けました。ぜひご一読ください。「生きていけない」状況がわかると思います。
「入管はその人たちに働くことも認めず、日本で生活する力を奪った状態でコロナ禍の社会に送り出した」
■12月21日(水)「毎日が緊急事態宣言」
皆さまに色々とお伝えしたいことがあるのですが、現場は毎日が緊急事態宣言のような状況で、落ち着いて文章が書けません。
月曜はアフリカ難民の方の相談。アジア難民の方とミーティングなど。火曜は弁護士と通訳の方と難民申請。今日は路上生活中の外国籍の方の訪問と食料提供。その後、複数の精神科を梯子して仮放免の方4人の受診同行。その間に、メールで医療を受けられない仮放免の方の相談、精神科、整形外科、内科。家を失いかけている仮放免家族の相談が複数。家を失った外国籍の方の相談。現場は逼迫していますし、私の周りの支援者の方々も同様です。今日出会った仮放免の方は泣きながら「辛い、死にたい」とお話されていました。ある仮放免の方が再収容されてしまうかもしれないという心配な知らせも来ました。制度改善を訴えるアクションもし続けなければなりません。できることを考えます。
■12月21日(水)「行動しか信じなかった」
「父は行動しか信じなかった」中村哲さんの生き方、刻む長男
■12月22日(木)「I’m so happy thank you so much」
火曜日、仮放免状態の皆さんに食べ物を送りました。私は難民申請に行っていたので、スタッフの方とアパートで生活されている方に大変な作業をやっていただきました。仮放免の方から「I’m so happy thank you so much」と写真(↓)とお礼のメールが届きました。仮放免のお母さんは「子どもがお米をよく食べるから助かりました」とお話されていました。 ご寄付を送って下さった方、発送作業を担って下さった方、ありがとうございます。少しでも食べ物の心配ない生活を送ることができれば良いなと思います。https://tsukuroi.tokyo/
■12月22日(木)「焼きいも」
月曜日、シェルターからアパートに移った皆さんと焼き芋を焼きました。私はミーティングがあったので、ほぼお任せです。コロナが酷くなる前は「カフェ潮の路(https://tsukuroi.tokyo/2017/04/19/337/)」で販売していました。好評で楽しかったです。久々に焼きましたが、甘く焼けたと思います。近々また焼きます。
■12月22日(木)「難民申請の『水際作戦』?」
火曜日は弁護士の方と通訳の方と一緒に難民申請に行きました。
100人以上来ていたと思います。申請書の記入は廊下でやります。申請書を書くのは極めて困難。ダメだったら付箋を沢山貼られて高圧的な態度で押し戻されます。皆さん苦慮していました。私たちは事前に申請書を入手して、弁護士の方の指導のもと書き上げたものを持参したのですが、それでも一度修正しなければいけませんでした。日本人が3人、しかもプロがついてこれなので来たばかりの難民の方が独力で申請するのは極めて困難です。以前、難民申請をお手伝いした時には書き終えることができず、帰っていった中東の家族を見ました。右も左もわからないまま遠くから来たのかもしれません。交通費だってかかるし、不安だったんだろうなあと思います。
スタッフの方は親切(というよりも普通)な人もいらっしゃいますが、本当に高圧的で怖い人も多くいます。申請書の書き方は気軽に相談できません。申請の過程が日本人でもわからないほどき極めて複雑でかつ怒鳴るなど不親切なのは、「難民申請を水際で食い止める作戦(=水際作戦)」なのでしょうか。
今回、よくわかったのは、難民申請同行ボランティアが必要だということです。法的なアドバイスができれば尚良いですが、それ以前に申請者を様々な圧力から守るために必要だと感じています。今回ご一緒した難民の方は「運よく」私たちに繋がり、衣食住を確保し、難民申請できました。繋がらなかったら、路上生活、在留期限が切れオーバーステイ、無期限収容、心身ボロボロで仮放免ということになっていたと思います。難民が生きていけるかどうかは「運次第」です。成田空港あたりで「Refugee Welcome」と横断幕を置いて難民申請の手続き的保障をした方が良いと感じています。
入国制限が緩和され、命からがら逃げてくる難民の方も増えると思います。悲しい事件が起きる前にできることはしたいです。そうしないと、逃げてきたのに日本で命を失うことになります。何をすればいいのか。
■12月22日(木)「Thank you so much ,for saving my life !」
手術が終わってガンがすべて摘出できた仮放免の方から「Thank you so much Yuma さん、for saving my life !」とメールがありました。感謝されるために支援をしているわけではないのですが、生きてくれていて良かったなと感じています。この方の手術については、私の頑張りではなく、無料低額診療で診てくださった病院の皆さま、この方の手術代をご寄付してくださった皆さま、北関東医療相談会の皆さま、つくろいの皆さまのお力で何とかやれたことです。ありがとうございました。
命の瀬戸際にいる難民・仮放免の方が多くいます。生き延びていける人を増やしたいです。
■12月23日(金)「物価高」
今日も病院に行きたいと仮放免の方から相談。足が腫れて動きにくくなっているとのこと。これから対応します。働くことができたり、保険に加入できれば苦労しないで済むのですが。
食べ物をお送りした仮放免の方から「食べ物が高くてとても困っているから本当に助かりました!」と連絡がありました。 物価高は苦しい状況に置かれている人をさらに苦しい状況にしています。子の点については、私の実感だけではなく、様々な調査で示されていることでもあります。
■12月24日(土)「ソーシャルワーカーも命を救える仕事」
ある学生の方が「医師と同じようにソーシャルワーカーも命を救える仕事」とお話されていたことが心に残り続けています。
■12月24日(土)「マイスモールランド」
映画「マイスモールランド」のDVDが自宅に届きました。これは多くの方に観てもらいたい。 大袈裟な表現ではなく歴史に残る映画ではないでしょうか。 「しょうがなくない」 その思いがずっと心の中に在り続けています。
■12月25日(日)「愛知県安城市による困窮外国人差別事件」
愛知県安城市による困窮外国人への差別。過去には群馬県と千葉県でも同様な差別事件がありました。
今、生活保護を利用できず命や健康の危機にある外国人がいます。亡くなってしまった人もいます。10年以上前に北九州市で生活保護を利用させてもらえないまま餓死に追い込まれた事件がありました。この事件は社会問題化し、検証委員会が設置されるにまで至りました。生活保護を利用できないということはダイレクトに「死」に繋がります。当然、外国人も同様です。今回の差別事件は安城市が小学生と1歳のお子さんを含む家族を「死」に追い込もうとしました。支援者の尽力によってそれは防ぐことができましたが、これは検証委員会が設置されるべき事態です。ことが起きてからは遅いです。このままだと安城市はまたやると思います。
この問題の根幹には差別的意識や現行生活保護法の問題があります。沢山お伝えしたいことはあるのですが、詳細はこちらをご覧ください。 この問題が多くの人に関心をもってもらう時期が来たのだと感じています。
■12月25日(日)「トランポリンでブラックへ」
困窮した方が就労支援を受けて行き着く先が、ブラックな低賃金不安定雇用ということがあります。トランポリンで再度ブラックな場所に戻されていくということです。それでも生き抜くために堪え忍んで働かなければならないというのが現実なのかもしれません。しかし、同時にこれは構造的な問題で政治の課題でもあると思います。こうした現実は必ずしも自明ではないはずです。
「頑張れる」「報われる」「生きていてもいい」と思えるような社会にしたいです。
■12月25日(日)「コミュニティーソーシャルワーク」
『コミュニティーソーシャルワーク』30号に寄稿しました。困窮外国人支援の現在について書いています。ご覧いただければ幸いです。