「正しさ」と支援 :瓜生崇『なぜ人はカルトに惹かれるのか』を読んで

この本を買った理由は思い出せません。長らく本棚に眠っていました。
最近、宗教の勧誘を受けたり、支援をしている方があまり評判の良くない新興宗教を信仰するようになり、やんわりと「抜けた方がいいですよ」と伝えるも、聞く耳持たずということがありました。そんな中、この本が目に留まり、読んでみるかという気持ちになって読み始めました。
最初は、この本のタイトル通りに「なぜ人はカルトに惹かれるのか」という興味関心と「私の支援している人を脱会させるためにはどうすれば良いか」という具体的な方法論を知りたくて読み進めていきました。
ところが、読み進めていくうちに、これは「カルト」のことに限らず、私が普段行っている支援に対しても影響を与える本だと感じてきました。
私は、私が正しいと思っている価値観を「善意」で「誤った道を進んできた」相手に押し付けてきたのではないか。「正しい道に導いてあげよう」と思うだけで、相手も悩み苦しんできた一人の人として捉えてこなかったのではないか。私自身が私自身の価値観を揺さぶられることに恐怖を感じ逃げてきたのではないか
とても難しい問題です。皆さんにも、特に対人支援に携わる方に考えていただければと思います。
※1つ注意点があります。筆者の瓜生さんは「こうしたやり方(注:以下に引用する考え方を踏まえた、信者の思いに寄り添いつつ、勇気をもって脱会できるように、呼びかけ続け、待つ支援)は信者の所属する教団が明確な反社会的行為を行っておらず、なおかつ信者自身にある程度の行動の自由がある場合においてのもので、教団が現在進行系で虐待などの明確な人権侵害をしていたり、明らかな反社会的な行動に出ている場合は、カウン セラーによっては積極的な介入を提案することもある」(p.182)と示しています。人権侵害はいかなる状況においても許されません

 信者に対して「お前は間違っていて、私たちが正しかった」なんて思わないでほしい。私の親は幸いにそういう態度に出ることはなかったが、脱会後に様々な人に会う過程で、「お前は間違っていて、私たちが正しかった」という態度を取られることが多くあった。そんな態度を取りながら、その上で優しいのである。この優しさは本当に辛いことだった。正しい人間が誤った人間を善導しようとする優しさほど残酷なものはない。どうか、脱会者という存在に向き合うことがあったとしたら、その人が歩んできた人生を尊重して、一人の分別ある大人として扱ってほしい。脱会者はボロボロのか弱い存在であるし、助けを求めてもいるが、自分の過ちは自分が一番よくわかっているのだから。

瓜生(2020)p.76

 脱会は迷っている信者を正しさに引き戻すことではない。正しさに依存して真実を抱きしめて生きている信者が、それを捨てて迷いに帰ることが脱会である。信者は迷い続けて生きることが怖いから脱会できないのだ。だから私たちが送るメッセージは「正しいのはこちらだ」ではなく、「迷ってもいい」である。迷うことは大事であり、迷っても生きていけると言い続けるのだ。そのためには信者の言葉に共感し、間違いないと思っていたこちら側の正しさがゆらぐことが何より大切なのだ。
 教団の真理を抱きしめている信者が、私たちの正しさに戻るのが脱会ではない。着地点はその中間にある。様々な価値観を許容し、お互いにゆらぎ、迷っても生きていけるという大地に着地する。時間はかかるかもしれないが、必ずその日は来るから安心して進んでいこう。

瓜生(2020)p.190-191
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