研究をする意味(メモ)① :R.P.ファインマン『ご冗談でしょう、ファインマンさん』を読んで

博論を書き始めてから今に至るまで、「私が研究する意味とはなにか」について考え続けています。
私は困窮者支援をしています。例えば、「研究する意味」が社会問題の解決であるのなら、それをわざわざ研究で達成する必要はないのではないか。実践で達成する方が効率的、むしろ実践でしか達成できないのではないかとも考えていました。また、そもそも社会問題の解決のために研究を行ってよいものだろうかとも考えていました。いまだによくわかりません。これは研究と実践の両方に身を置いているから感じることかもしれません。それに関する書籍をいろいろと読みましたが、どれもしっくりきませんでした。
そんな中、先日、ノーベル物理学賞受賞者のファインマンの自伝本と出会いました。そこには、彼の研究に対する苦悩と彼の「研究する意味」が示されていました。私はこの文章を読んでとても共感しました。
社会問題や人を対象とする社会福祉関係の研究者が無邪気に「これからはそれこそ娯楽のために、『アラビアンナイト』を読む調子で気の向いたときにその価値なんぞぜんぜん考えずに、ただ物理で遊ぶことにしよう」と同じことを言っていいのかわからないところもあるのですが、でも、そういうことも大事なんだろうなと感じています。 私の研究は社会のためでもあり、学問のためでもあり、私自身のためでもあるのかもしれません。「研究する意味」を自分の言葉で語りたいですが、まだまだ時間がかかりそうです。

『ご冗談でしょう、ファインマンさん(上)』p.305-312引用
ーーーーーーーーーー
 コーネルでは、まず講義の準備をしては図書館で『アラビアンナイト』を初めから終りまで全巻読み、そばを通る女の子を眺めるという生活をしていたが、いざ研究をするとなると、これがなかなか手につかない。僕はいささかくたびれていたし、何となく興味がわかず、どうしても研究が始められないのだ。僕の感じでは、こういう状態が二、三年も続いたような気がするが、今思い出して計算してみるとそんなに長い間のはずはない。今ならそんなに長いと感じないのかもしれないが、少くとも当時は実に長い感じがしたのだ。とにかくどんなにがんばっても、どうしても研究に手がつかない。しかも一つの問題だけでなく、どんな主題でもだめなのだ。ガンマ線の何かのトピックについて二行か三行書きはじめてはみたが、どうしてもその先が続かなかったのを今でもよく覚えている。僕はてっきり戦争やその他のさまざまな事件(家内の死)のおかげで、すっかり精魂つき果ててしまったんだと思いこんだ。
 今考えてみると何でそうなったのかがずっとよくわかる。 第一若い頃は良い講義を、それもはじめて準備するのにどれだけ時間がかかるものかということに気がついていない。準備だけではない、実際に講義をし、試験問題を作り、それが理にかなった問題かどうかをチェックするのだから時間をくうのも当り前だ。僕は充分に考えぬいて講義一つ一つを準備していくという、実際に「実のある」講座を教えていた。ところがそれが大変な仕事だということには気がついていなかったのだ。だから力を使い尽した僕は、自信を喪失して『アラビアンナイト』を読んでは、うつうつと日を過していたわけだ。
 この間にも大学や実業界のいろいろな方面から、コーネルよりずっと高給の誘いがかかってきていた。こうして招きを受けるたび、僕はますます憂鬱になっていった。「見ろ、 僕がもう精魂尽きてることも知らずに、方々からこんなに良い職を勧めてくれている。むろん絶対にひきうけるわけにはいかない。みんな僕が何かすごいことをやり遂げるだろうと期待しているというのに、僕は何もできないんだ。もうアイデアなんかすっかり涸れてしまった。」
 そのうちついに高等学術研究所から誘いが来た。アインシュタイン、フォン・ノイマン、ワイル…どれもこれも皆大頭脳ばっかりだ。その彼らが僕に手紙をくれて、そこで教授になってくれと言ってきているのだ! それもただの教授ではない。どういうわけか彼らは僕が研究所に対して抱いている気持ーつまりあまりにも理論にかたよりすぎて、実際の活動やチャレンジがないという―を知っていて「貴君が実験と教育ということに多大な興味をもっていることはよくわかっている。貴君さえよければ特別な教授職を新しく作って、半分はプリンストンで教授をつとめ、研究所で半分働いてくれるように取り計らってある」という手紙をよこしたのだ。
 高等学術研究所! 僕のためにわざわざ作られた地位! それもアインシュタインより いいくらいの地位だ。まったく理想的で完璧で、まさにとんでもない話だ。
 事実とんでもない話だった。他の勧誘は、何か成果をあげるだろうと期待をもたれるだけに少し憂鬱になる程度だったが、今度のこの話はあんまりとてつもなさすぎて、そんな度外れた期待には逆立ちしたって応えられるものではない。あまりにもけた外れな話だ。ほかの話は、ただのまちがいだと思えばよかったが、これは常識外れのめちゃくちゃだ。 僕はひげをそりながら思わず笑ってしまった。
 それから僕は自分で自分に言いきかせた。「おい、あの連中が考えてるお前とは、あんまりけた外れで、とうていそんな期待通りのことができるわけがない。そんな期待に近づこうと努力する責任なんて何もありゃしないんだぞ!
 それはまったくすばらしい発見だった。いくら人が僕はこういう成果をあげるべきだと思いこんでいたって、その期待を裏切るまいと努力する責任などこっちにはいっさいないのだ。そう期待するのは向うの勝手であって、僕のせいではない。
 高等学術研究所が僕という男をそれほど買いかぶったって、それは僕の罪ではない。そんな期待に沿うなど、どだい無理な話だ。明らかにまちがいだ。向うがまちがっていることだってありうるのだと思いついたとたんに、僕はこの考えがそっくりそのまま、職の話を持ちかけてきたほかのところにも当てはまるのに気がついた。今勤めているこの大学ですら然りだ。自分は自分以外の何者でもない。他の連中が僕をすばらしいと考えて金をくれようとしたって、それは向うの不運というものだ
 そしてその日のうちに不思議な奇蹟からか、それとも僕がそんな話をしているのを聞いたのか、僕という男をよく理解してくれたからか、とにかくコーネルの研究室の大ボス、ボブ・ウィルソンが僕をオフィスに呼び入れた。彼はくそまじめな調子で、「なあ、ファ インマン。 君は非常に良い授業をしているようでわれわれはたいへん満足している。これ以上こっちで何か期待するとしても、それはもう運というもんだ。 教授を雇うときには大学側は大ばくちを打つようなもので、もし結果がよければよし、悪ければどうにもしかたがない。だから君の方は自分のやっていること、やっていないことについてくよくよする必要はぜんぜんないんだぞ」というようなことを言ってくれた。きっともっと良い言い方をしたのだろうが、とにかくこれで僕も嫌な罪悪感から解放されて、実にすっきりした
 僕はまた他のことも考えはじめた。前にはあんなに物理をやるのが楽しかったというのに、今はいささか食傷気味だ。なぜ昔は楽しめたのだろう?そうだ、以前は僕は物理で遊んだのだった。いつもやりたいと思ったことをやったまでで、それが核物理の発展のために重要であろうがなかろうが、そんなことは知ったことではなかったただ僕が面白く遊べるかどうかが決め手だったのだ。高校時代など、蛇口から出る水がだんだん先細りになっていくのを見て、そのカーブが何によって決まるのかを考え出すことができるかなと思ったことがある。これをやるのは簡単だった。僕が別にそれをやらなくたって痛くも痒くもない。もう誰かがとうにやってしまったことだし、別に科学の未来に役立つことでも何でもないが、そんなことはどうでもよかった。僕はただ自分で楽しむためにいろんなことを発明したり、いろいろ作ったりして遊んだだけの話だ。
 というわけで、僕はここに至って新しい悟りみたいなものを開いた。僕はもう燃えつきたローソクみたいなものだから、もう決してたいした成果もあげられないだろう。僕はこの大学で楽しみながら授業をする結構な地位にある。これからはそれこそ娯楽のために、『アラビアンナイト』を読む調子で気の向いたときにその価値なんぞぜんぜん考えずに、ただ物理で遊ぶことにしよう
 それから一週間もたたないうちに、僕がカフェテリアにいると、一人の男がふざけて皿を投げあげている。皿は上昇しながらぐらぐら横揺れしていた。そして皿についているコーネルの赤い記章がぐるぐる回るのが見えた。どうも見たところこの記章の回る速度は明らかに皿がぐらぐらするのより速い。
 僕は他に何もすることがなかったから、まわっている皿の運動を計算しはじめた。角度が非常に少ないときは、記章の回転速度は横揺れの速さの二倍、つまり二対一の速さだ。ただし、この答はたいへん複雑な方程式から出したものだ。それから僕はさらに「これが何で二対一なのかを見るのに、「力」とか「力学」とかの点から考えれば、もっと基本的な見方ができるのではないか?」と考えた。
 どうやって出したのかは思い出せないが、僕はいろいろやってみた末に、皿をつくっている質点の運動をみんな計算し、それらの加速度のバランスから二対一が出ることを発見した。
 今でも覚えているが、ハンス・ベーテのところに行って「おいハンス、面白いことに気がついたぞ。皿がこういう風に回るだろう? それでこれが二対一だという理由はだ……」とばかり僕は彼に加速の計算をして見せた。
 するとハンスは「なかなか面白いじゃないか。だがそれは何の役に立つんだね? 何のためにそんな計算をやったんだい?」ときいた。
 「なに別に何の役にも立たないよ。面白いからやってるだけさ。」僕は物理学を楽しむだけのために好きなことをやるんだと決心していたから、このときのペーテの反応はちっとも気にならなかった。
 僕は引き続き横揺れの方程式も作り出したあげく、相対性理論では電子の軌道がどのようにして動きはじめるのかを考えた。電気力学にはディラック方程式があり、量子電気力学があるではないか。こうして僕は自分でも気がつかないうちに(あっという間だった)、ロスアラモスに行くため中止した、あの僕のお気に入りの問題を相手に「遊び(遊びというよりほんとうは仕事だったが)」 はじめていたのだった。それは僕の卒論に似たタイプの、あの旧式ですばらしい問題ばかりだった。
 こうなると努力なんぞというものはぜんぜん要らなかった。こういうものを相手に遊ぶのは実に楽なのだ。びんのコルク栓でも抜いたようなもので、すべてがすらすらと流れ出しはじめた。 この流れを止められるものなら止めてみよと思ったぐらいだ。そのときは何の重要性もなかったことだが、結果としては非常に大切なことを僕はやっていたのだ。後でノーベル賞をもらうもとになったダイアグラム(ファインマン・ダイアグラム)も何もかも、僕がぐらぐらする皿を見て遊び半分にやりはじめた計算がそもそもの発端だったのである。

タイトルとURLをコピーしました