「外国人は煮ても焼いても自由」というメンタリティ

※この記事は「北関東医療相談会ニュースレター 2021年5月号」に掲載した記事を転載したものです。

 「煮て食おうと焼いて食おうと自由」

 これは、1965年出版の『法的地位200の質問』という本の中で、法務省入国管理局の官僚が日本に暮らす外国人の対応について示した際の発言である(https://iss.ndl.go.jp/books/R100000039-I001300828-00)。この入管の「外国人は煮ても焼いても自由」というメンタリティはなんら変わっておらず、現在に至るまで一貫し続けている。決して「昔のこと」ではない。

◆突然収容された仮放免者
 私が外国人支援に関わってまもなくの時、仮放免の若いクルド人男性と出会った。治療が必要な彼は北関東医療相談会の支援で埼玉県の病院に通院していた。私はその通院に同行し、帰りには一緒に中華料理を食べに行った。日本人のパートナーのことをたくさん聞かせてくれた。後日、また通院が必要だとのことなので、通院日時を決めて、その日は別れた。当日、私は病院の玄関で待っていたが彼は来ない。迷子になっているかもしれないと病院中を探し回ったが見つからなかった。その後しばらくしてから、彼は仮放免の延長手続きのため入管に出向いた際に再収容されてしまったということがわかった。連絡も何も取れないまま収容されてしまったのである。

◆収容生活は入管の裁量次第
 入管は無期限の収容を認めている。外国人支援のスペシャリストである指宿弁護士によると「入管のフリーハンドで2年3年収容してみようと思えばいくらでも収容できちゃう。ここに恐ろしいところがある。刑務所ではそんなことはできないじゃないですか。懲役1年だけど最近治安が悪いからこの人は2年入れておこう、そんなことしたら憲法違反になりますよね。でも入管にはそれができてしまう。とにかく入管の裁量は大きくほとんどオールマイティです」(望月優大『ふたつの日本』2019年)。
 また、入管内では自由が制限され、収容された者の生命や尊厳が奪われている。今年3月6日、名古屋入管に収容されていたスリランカ人のウィシュマ・サンダマリさん(当時33歳)が亡くなった。報道によると、名古屋入管が適切な医療を提供していなかった疑いが濃厚であり、ウィシュマさんの遺族は「動物でも病気になったら薬をもらう。(娘は)人間なのに点滴を受けられなかった」と述べ、入管による医療提供体制に強い懸念を示している(毎日新聞 2021年4月30日)。

◆権力をもってその人の人生を縛り付けることは許されない
 入管は仮放免を行う基準について「個別の事案ごとに諸般の事情を総合的に勘案して判断されるものであり、許否に係る基準はない」と示しており(出入国在留管理庁「仮放免許否に係る考慮事項」)、仮放免するか否かは入管の裁量次第となっている。また、先に示したように、再収容も入管の裁量次第であり、仮放免者は再び収容されるかもしれないストレスにさらされ続けている。現在、入管法「改正」の議論が国会で行われている。監理措置制度の新設が検討されているが、監理措置を行う基準については明確にされておらず、仮放免と同様に、その決定は入管の裁量次第となっている。入管法「改正」案も「外国人は煮ても焼いても自由」メンタリティに追従しているのである。 仮放免者は働くこともできず、生活保護のような公的保障を受けることもできず、さらに、仮放免される基準も再収容される基準も不明瞭である。仮放免者の生活と生命、人生は入管によって左右されているのである。私が仮放免者と同じ立場に置かれていたら生きる希望をなくしてしまうのではないかと感じる。「外国人だから」、「仮放免者だから」、「非正規滞在者」だからという理由でその人の人生を権力をもって縛り付けることは許されない。

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