2023年1月9日(月)~15日(日)のTwitterの記録です。
■1月11日(水)「できること」
月曜日火曜日は二日続けて「りんじんハウス(https://congrant.com/project/umbrellafund/5794)」で家具の組立などを行いました。手伝ってくださった皆様、ありがとうございました。多くの方のご支援のおかげで「難民・仮放免者のホームレス化」を防ぐための「りんじんハウス」ができています。
火曜日はとある大学のゲストスピーチをしました。「『生きていけない』困窮する外国人の現状とその支援」です。学生の皆様から多くのご質問をいただきました。中には「仮放免者の存在を知りませんでした。私たちにできることは何ですか?」という質問もありました。ありがたいです。
是非、引き続き仮放免者の置かれている状況について知り、周りに知ってもらう活動をしてもらえると嬉しいです。SNSでもいいし、サークル活動でも。さらに余力のある方はイベントを開催してもいいかもしれません。「出張 難民・移民フェス(https://note.com/refugeemigrant/n/ne6bad42e0d55)」という取り組みがあります。文化祭などでできるといいなと感じています。また、支援団体のボランティアに参加してみたり、寄付をしてみたりするのも良いと思います。とにかく、仮放免者の置かれている状況に心を寄せ続けるということが大事になるのかなと感じています。
火曜日夜はシェルターからアパートに転宅した人(日本人)の緊急搬送でした。寝たきりで動けず。詳細書けませんが、生き延びてほしいです。
水曜日は朝イチで路上生活中の外国籍の方お二人に会ってきました。食べ物を差し入れ。「寒い」「アパート入りたい」「大澤さん、よろしくお願いします」とお話がありました。どうにかしたい気持ちでいっぱいですが、シェルターがありません。路上生活のままです。どうにかしたい。どうにかなるのか。
その間に病院に行きたいという仮放免の方からご相談。行きたいときに病院に行けないのはしんどいと思います。 私もやや体調を崩してしまい、満足な対応ができずに今日を終えてしまいました。支援者の方にはご負担をおかけしています。ありがとうございます。改めて、この支援はひとりでは絶対にできないなと感じています。
■1月12日(木)「ボランティアセミナー」
多くの方にお申し込みいただき、定員を上回りましたので、締め切ります。お申し込み、ありがとうございました。 また企画できればと考えております。よろしくお願いいたします。
■1月12日(木)「入管法改定」
入管法を改正、また、それとは別に「難民保護法」なるものをつくるのが筋。外国人を「管理」する部局が「保護」という命の問題を担うことはできないということはすでに自明。難民支援協会HPに掲載されている野党の「難民等保護法案」制定、「入管法」改定が参考になりますし、概ねこのような内容にすべきだと考えます。
■1月12日(木)「コロナ罹患」
コロナに罹患し、参加できなくなってしまいました。張り切っていたのですが、残念です。 当日は、困窮外国人支援を30年近く行ってきた長澤正隆さんと長澤和子さんがお話してくださいます。 お二方にはいつも勉強させてもらっています。私にはできないお話が沢山聞けるはずです。
■1月12日(木)「1億人が「難民・避難民」の世界 日本に打ち寄せる現実」
「紛争や迫害などで家を追われた人たちは22年上半期時点で1億300万人に達した。80人に1人が難民あるいは避難民。これが世界の現実である。その波は日本にも打ち寄せており…」
■1月13日(金)「生涯子供なし、日本突出 50歳女性の27% 『結婚困難』が増加」
守泉理恵さん「積極的選択というより、諦めている女性が多いと示唆される」
阿部彩さん「日本は社会的サポートの多くを家族に頼っている。孤立・孤独が社会問題となる中で、安心して暮らせる社会づくりが必要になる」
■1月13日(金)「LiLiCoが『王様のブランチ』で流した涙 『ノマドランド』と格差と私」
「やっぱり人がすべてなんです。私一度肺炎になって、ある方が私を抱いて病院に連れていってくれたんです。私は息が苦しくても、お金がなくて病院で検査すら受けられなかった。あのとき病院で診察を受けられ、薬をもらえたからそこ、いまこうして生きているんです」
■1月13日「優生思想と『包摂のための議論』」
命に優劣をつけ「生きてもいい」「生きてはいけない」を決めつける「優生思想」。これは今も昔も世界にも日本にも残り続けています。ナチスドイツや相模原「津久井やまゆり園」殺傷事件を強く思い出します。相模原事件の犯人は「障害者なんていなくなればいい」と繰り返し主張し、実際に犯行に至りました。また、こうした言動や犯行について、擁護した方もいました。ある大学の先生が講義で学生さんにこの事件のことを話した時「しょうがなかった」という感想がそれなりに寄せられたとのことでした。最近では、ある研究者の方が「高齢者の集団自決」という表現を使って発言していますし、メンタリストの方が「ホームレスの命はどうでもいい」という発言をしています。
こうした「優生思想」はなおも残存し続けています。そして、思想だけではなく、現実社会においても「生きてもいい人」「生きてはいけない人」が決めつけられています。しんどい社会です。しかし、それでも「そうじゃない選択肢があるんだよ」と提起し続けていくことの重要性を感じています。もしかしたら支援団体が支援を行う意味というのはここにあるのかもしれません。「大丈夫、私はここにいていい、生きていていい」 そう思える社会にしていくためにはどうすれば良いかを考える必要がありますし、それを支える法制度を制定する必要もあります。そうしなければ、どんどん「優生思想」に流れてしまいそうです。その道のりが大変であっても、踏ん張って「排除のための議論」ではなく「包摂のための議論」がしたいです。