台風と停電、その後に考えた4つのこと

2019年の9月に台風が千葉県を直撃しました。2年前になります。

当時、私は家にいました。台風の直撃は深夜から早朝だったかなと思います。
近所で工事をしていました。仮設トイレが設置されていましたが、飛ばされて大変なことになっていました。
詳細は言えませんが、台風の影響で、私の近所の方も亡くなっています。
3.11の震災ですら意識したことがなかった「死」を間近で経験することになりました。

この台風被害で学んだことが4つあります。

①台風は怖いということ
今まで地震が起きたらどうしようということは考えていましたが、台風が来たらどうしようということは考えてきませんでした。やり過ごせるでしょうと思っていました。やり過ごせませんでした。私の家は台風一過後の酷暑の中3日停電、親族の家は12日間停電していました。熱中症で亡くなってしまった方もいます。大雨による土砂災害で亡くなってしまった方もいます。どういう原理でできたかはわかりませんが竜巻による車横転で亡くなってしまった方もいます。強風で屋根が飛ばされてしまった方もいます。台風は怖いということを思い知りました。
こうした異常気象は地球温暖化の影響もあるのでしょうか。関係性についてはよくわかりませんが、環境問題を自分ごととして捉える機会になりました。参考までに地球温暖化に関するNHKの解説記事です↓

"疑う余地がない"温暖化とどう向き合う?
今月IPCC気候変動に関する政府間パネルが最新報告書を公表。日本の温暖化対策は? #nhk_kaisetsu
台風の強風で木の上半分が飛ばされてしまった。
2019年9月19日 大澤優真撮影

②緊急時に自治体は混乱するということ
停電後、自治体の車が近所を回っていました。スピーカーで「まもなく停電が復旧します。火事にはお気を付けください」と言っていました。それを聞いた私はホッとして、この暑さももう少し我慢すればいいからどうにかやり過ごそうと思いました。夜になりました。電気はつきません。結局、その後、3日間停電し続けました。
なぜあの時、「まもなく停電が復旧する」と言っていたのか、私にはわかりません。いろいろと情報が錯綜していたのだと思います。NHKのニュースで、基礎疾患のある夫が酷暑の中、ベッドで辛そうにしていたが、妻に対して「もうそろそろ復旧するらしいから仕事に戻って」と言い、妻が仕事から帰ってきたら熱中症で亡くなっていたという痛ましい報道を見ました。
緊急時は自治体も混乱していて、自治体が出す情報は必ずしも正しくないということがわかりました。

③国は守ってくれないということ
停電した日、テレビもつかないので、ラジオでニュースを聞いていました。
私の近所だけが停電しているのか、千葉県中が停電しているのか、被害の大きさはどの程度なのか、どのような支援があるのかが全く分からなかったからです。ちなみに、スマホは充電が切れるとよくないので、万が一のためにと思ってあまり使わないでいました。乾電池式の充電器は必須だと感じました。
ラジオのニュースでは、トップニュースに小泉進次郎氏が環境大臣になったこと、その次に韓国の法務大臣のスキャンダルについて報道していました。その後、番組終了間際に「千葉県で停電が発生しているそうです。熱中症にはお気を付けください」という一言があり、番組が終わりました。結局、私はどういう状況に置かれているのかわかりませんでした。
その後、台風被害の影響が落ち着いてしばらくたってから、停電中に発行された新聞を見ました。内閣改造後のきれいな服を着て閣僚が階段にずらっとならんでいるお馴染みの写真が一面に載っていました。正直、憤りを通り越して、がっかりしました。東京からそんなに遠くない場所で多くの人が停電などで苦しんでいる状況下で、よくこんなことができたなと。「日本を守る」といつも言っているが、目と鼻の先にある千葉県民は守らない。千葉は「日本」ではないとみなされているんだなと。
それまで、私はなんだかんだ言っても最終的には国が生活を保障してくれるのだと考えていました。でも、いざというときは国は守ってくれないということがわかりました。このコロナ禍でそのように感じている人も多いのではないでしょうか。そうであれば、自らで自分のことを助けなければなりません。それを強く感じました。
でも、それにも限界があります。それができない人もいます。だからこそ、「公助」の必要性を強く示していかなければならないとも後に考えるようになりました。
国の存在意義ってなんだろうなと思います。そのことを今一度考えるいい機会になりました。

④仲間や見知らぬ人が助けてくれたこと、それは本当に励みになるということ
国がそういう対応をしているとき、困窮者支援の仲間から心配のメールや電話をもらいました。それは本当に励みになりました。私は3日間という停電で済みましたが、それでも、ニュースを見ても何も情報が流れてこない、見捨てられているなという気持ちがありました。そんな時に、心配の声をかけていただいた方々には本当に感謝しかありません。人が困っているときに声をかけられる人になりたいと思いました。
それまで、「東北がんばろう!」とかそういう言葉を目にするたびに、言葉だけだとどうにもならないよねと思う時がありました。でも、心配しているよという言葉をかけてもらうだけでも、気にかけてもらっているということがわかるだけでも、大きな励みになるということがわかりました。
2017年に研究関係でドイツに行ったとき、それはちょうど3月11日でしたが、ドイツの研究者が私たちに「今日は3月11日です。あの時の津波の被害は本当に大変だったと思います」と私たちに寄り添った言葉をかけてくれました。その時は気が利いてる人だなぐらいにしか思いませんでしたが、今思えば、色々なことがわかっている深い人だったのだなと思います。
また、個人や支援団体の方が食事の提供やその他サポートをしてくれました。皆さん自身も忙しかったり大変だったりする中で来てくれたのだと思います。私だったら何だかんだ理由をつけて支援に行かなかったかもしれません。そんな思いやりのあふれた方々に改めて感謝申し上げます。

支援者の方がカレーやホットドッグなどを配食してくれました。
2019年9月19日 大澤優真撮影
私の祖父もおにぎりとスープをもらいました。
2019年9月19日 大澤優真撮影
赤ちゃん用品や介護用品なども配っていました。外国籍の住民も来ていました。
2019年9月19日 大澤優真撮影
自衛隊の方が仮設銭湯を用意してくれました。
2019年9月19日 大澤優真撮影

以上、4つのことを台風被害から学びました。
今年も台風が来るかもしれません。台風に限らず、豪雨や土砂災害で生活の基盤や命を失ってしまう状況がいろいろなところで生じています。
私に何ができるかはわかりませんが、まずは気持ちを被災地に向けていければと考えています。

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